| 翻訳と辞書 | 第10代総選挙 (大韓民国)[だい10だいそうせんきょ]| 第10代総選挙 (大韓民国)  : ウィキペディア日本語版 | 
 
 第10代総選挙(だい10だいそうせんきょ)は大韓民国国会の国会議員を選出するために1978年12月12日に行なわれた第四共和国時代の韓国における選挙である。韓国では「第○回」ではなく「第○代」と選挙回数を数える。また、名称も「総選挙」()ではなく「総選」()と表記するのが一般的である。
 
 == 概要 ==
 第9代国会の議員任期(6年)が満了したことに伴って行われた選挙である。
 維新体制による統治が7年目に入り、体制へのほころびが徐々に目立つようになってきた。同盟国のアメリカでは議会やマスコミを中心に韓国の人権弾圧に対する批判が強くなり、1977年に人権外交をとなえるジミー・カーターがアメリカ大統領に就任し、韓国の維新体制による人権弾圧に不快感を示し、1976年3月1日の明洞事件(3・1民主救国宣言事件)で逮捕された金大中らの釈放を求めたことで亀裂が深まった。そして緊急措置第9号〔緊急措置9号は維新憲法撤廃と政府退陣を要求する民主化運動を弾圧するために1975年5月22日に宣布された措置で、79年12月7日に撤廃されるまでの間、800名が逮捕令状無しに拘束された。〕によって押さえ込まれていた学生運動や在野の運動も再び盛り上がりを見せるようになり、学生達は捨て身で示威闘争を行ない、在野勢力は78年2月に第2の民主救国宣言を発表するなど健在振りを示した。経済では、1977年に輸出総額100億ドル台を初めて突破し、初めて貿易黒字を達成し、順調かに見えたが、過重な設備投資、物価高騰や技能・技術者不足などから競争力が低下、韓国経済は下降の一途をたどった。このように維新体制へのほころびが目立ち始めてきた中で総選挙が行なわれた。
 
 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』
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